シドニー浜の竹内文書・竹内文献に関するメモ帳
酒井勝軍『神代秘史』【序辭】
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昭和十年十月十日発行、酒井勝軍『神代秘史』[全四巻]の第一巻目のはじめに収録されている序辭の原文を掲載します。

この文章を読む限り、『竹内文献』は、武烈天皇の時節に「国史湮滅運動」なるものが皇祖皇太神宮(現:富山県の天神人祖一神宮[あまつかみくにつかみはじめたましいたまや])に及ぶ勢いで、それを危惧した武烈天皇が、表向きには逆臣を誅した形をとり、その屍を越中へ運ぶのだが、実際には神典神宝を守って貰うために、ワザとそのように勅使として隠遁させたことが書かれている。その場所で『竹内文献』は神代文字から漢字カナ混じり文へと書き換えられて、昭和三年に日の目を見たという。当時の神代文字のみの原文から『上記大奥』(竹内文献を関係者はこう呼んでいた)となって多くの犠牲の上に守護されて来た歴史がこの序辭の中に分かり易くまとめられています。 原文は旧字体で漢数字によるものでしたが、一応ある程度読み易くしてあります。意味が難しくて読みにくい方は、その下の意訳を参考にしてください。逐一現代的でない意味もしくは歴史・神道などの専門用語に注釈を加えてあります。尚、どこまでも原文に忠実さを求められる方は国会図書館等での閲覧を希望されるとよいかと思います。

序辭
従来我が国史には『平群眞鳥反す誅に伏す』と特筆されてあるが、実は眞鳥公は武烈天皇の深き思召に由り死屍として運ばれ、越中に隠遁し、皇太神宮に奉安せる皇統譜を始め、神書神典等を神代文字の原文より漢字仮名混じり文に反訳し、且つ皇太神宮奉藏一切の神器神宝と併せ、その守護のために残生8年を精進したのであった。蓋し 当時国史湮滅運動の火の手が畏れ多くも皇太神宮にも及ばんとする勢いであって、未曾有の国難に直面し神洲日本の運命、危機正に一髪の際『爾の外頼むべき者なし速かに越中に赴き国体に係はる神器神宝を守護せよ』との難有き御内勅を賜ったからである。
然るに国史は斯明君を暴帝の如く大書し、又斯忠臣を逆賊として筆誅したが、1,400年後の今日、史実を隠蔽して居った妖雲層は遂に消散した。
併し眞鳥公と其後裔が前後30人の犠牲を捧げて死守した之等神器神宝は尚お未だ奉還さるる自由を得ざるのみか、棟梁の臣と歌われた竹内宿禰公の後裔は生命財産の安定さえ脅されて居る有様であるが、此禍は一方福を生んで我等は茲に此神典を拝観するの機会を与えられた事を天地神明に感謝せねばならぬ。
されぱ本書神代秘史と假称したが、実は万世一系天津日嗣の皇統譜であるから、固より言挙げすべき限りでなく、又従来の疎漏甚しき国史眼に由らず、本末を誤った外国文化史に拘らず、日光の直射を全身に浴び、天地の公道上に天孫民族としての深呼吸をなしつつ、唯有難く拝読すべきであるが、若し疑問が起こった場合は何時でも釈明の労を厭わない。
而して本書中漢字及假名の誤り少なからず亦越中の方言で書かれてあるから、始めの間は中々詠み難いが、勝手に訂正すべきものではなく又本書の神厳を保つために態と原文のまま出版したのである。
此神典は、昭和3年3月29日に茨城県磯原町の竹内氏邸で開封されたのであるが立会った人々は海軍大将有馬良橘、公爵一条実孝、陸軍中将筑紫熊七、海軍中将堀内三郎、海軍少将横山正兼、宮内省事務官伊藤武雄、忠愛会長前田常藏の諸氏で、余は日本天皇の世界君臨に対する準備のため遠くパレスチナに居ったために参列の栄を得なかった。
故ありて本書の発行を300部に限定した。故に本書を座右にする300の同志各位は世界統一神政復古戦の第一線否最尖端に特派された覚悟を以てこの正史の輻射を励み、内外の陋習を破って大に皇基を振起せられんことを熱祷してして止まぬ。

復興皇紀2,595年秋季皇霊祭
                  酒井勝軍 謹識

[※旧字体の新字体変換及び漢数字はアラビア数字に変換済]

---------------------------以下は、シドニー浜による意訳

序辭(序言)
従来我が国の歴史には『平群真鳥反す誅に伏す(平群真鳥は背いたので死刑に処す)』と特筆されているが、実は真鳥は武烈天皇の深い心遣いによって死屍(死体)として運ばれ、越中(北陸道。現在の富山)に隠れ住み、(皇祖)皇太神宮に謹んで安置する皇統譜を始め、神書神典等(竹内文献)を神代文字の原文から漢字仮名混じり文へ翻訳して、かつ皇太神宮謹んでしまう一切の神器神宝と合わせて、その守護のために残り生涯8年間を精進したのであった。確かに当時国史湮滅運動(国の歴史を消し去る運動)の火の手が無礼にも皇太神宮にも及ぶ勢いであり、これまでに無い国の災難に直面し神の国日本の運命、危機一髪の際『あなたの外に頼むべき者がいません。すぐに越中へ行って国体に係わる神器神宝を守護してください』という有難い命令の言葉を頂いたのである。

それにもかかわらず国の歴史はこの賢明な君主(天皇。即ち武烈天皇)を暴帝(無法者な天皇)のように誇張して文章を書き記し、またこの忠義な家来(准大臣。即ち平群真鳥)を逆賊(主君に背く者)として欠点や罪悪を書き責め立てたが、1,400年後の今日、史実を隠していた妖しい雲の層は遂に消え散った。
しかし真鳥とその後裔(子孫)が前後30人の犠牲となって死守したこれら神器神宝はなおまだ天皇へ返還される自由を得ないのみか、棟梁の臣(大臣)と歌われた竹内宿禰の子孫は生命財産の安定さえ脅されているが、このわざわいは一方福を生んで我らはここにこの神典(竹内文献)を拝観する機会を与えられたことを天地神明(日本の神道の神々)に感謝しなければならない。
さて本書神代秘史とカナ呼びしたが、実は万世一系(永久に続く皇室)天津日嗣(皇位継承。即ち天皇の代を引き継ぐこと)の皇統譜(天皇および皇族の身分に関する事項を記載する帳簿)なので、いうまでもなく言挙げ(言葉に出して言う)すべき限りでなく、また従来の大雑把で手落ちの甚しい国の歴史の眼によらず、物事の始めと終わりを誤った外国文化史にかかわらず、日光の直射を全身に浴び、天地の正しい道に天孫(天つ神の子孫)民族としての深呼吸をして、ただ有難く拝読すべきであるが、もし疑問が起こった場合はいつでも誤解を説くのは苦労ではない。
しかし本書中の漢字及びカナの誤りは少なくなく、また越中の方言で書かれてあるので、始めのうちは中々読みづらいが、勝手に訂正すべきものではなく、また本書の神の厳しさを保つためにわざと原文のまま出版したのである。
この神典は、昭和3年3月29日に茨城県磯原町の竹内氏邸で開封されたのであるが立会った人々は海軍大将有馬良橘、公爵一条実孝、陸軍中将筑紫熊七、海軍中将堀内三郎、海軍少将横山正兼、宮内省事務官伊藤武雄、忠愛会長前田常藏の諸氏で、私は日本天皇の世界君臨に対する準備のため遠くパレスチナに居たために参列の名誉を得なかった。
訳あって本書の発行を300部に限定した。なので本書を身近に置く300の同志皆様は世界統一神政(神の政治)復古(元に戻す)戦の第一線いや最尖端に特派(特別派遣)された覚悟を持ってこの正しい歴史の広く広めることを励み、内外の陋習(悪習)を破って大いに皇基(天皇による国家統治の基礎)を奮い立たせることを熱祷(熱心に祈ること)して止まない。

復興皇紀2,595年秋季皇霊祭
                  酒井勝軍 謹識

---------------------------以上、シドニー浜による意訳
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