シドニー浜の竹内文書・竹内文献に関するメモ帳
木に餅が生る
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※旧仮名遣いを現代仮名遣いへ、及び旧字体を新字体へなど、ひと通り読み易く修正してあります。

竹内文献の中には、過去の天変地異が起こる前には「木に餅がなる」という記述が
が度々ある。この文章は酒井勝軍が竹内文献の中から重要なトピックを100話抜き
出したウチの一編である。モチノキがこの話しの中に出てくる。モチノキは鳥餅の
原材料なのだが、別に天変地異で無くともなっているので、直接は関係はないと思
われる。地震の前兆現象として特徴的な表現なので、敢えて抜き出してみた。


『木に餅が生る』[『神代秘史百話』酒井勝軍著より]  全地を泥の海と化するほどの大地震が、関東大震災のように何の前兆も予告もな く突発したとすれば、蟲一疋も生き残ることは不可能であろうが、ノアの一家は神 の預告を承けて大船を造ったために避難したのである。  さらば神は如何なる預告をなされたか、これについては何の記事も見当たらぬ が、幾度となく全地を泥の海に化したこの大地震の時の記事に、いつも「木に餅が 生る」と書き添えてあるのを見ると、これが前兆の如くにも思われるのである。  今でも竹に実が生ると飢饉が来るという伝説がある。果たして左用か真偽を確か めたことはないが、木に餅が生った事実が伝えられたのではなかろうか。  『松の樹は荊(いばら)にかはりてはえ岡枯樹は棘にかはりてはゆべし』この句は 神政復古の光景を示したもので、聖書の預言にあるが松の樹の意味が分かるけれ ども、岡枯樹を何故に引用したしたか分らぬ。然るに日本ではこれをモチノキと呼 んで居る。或は大地震の時にこの樹か又はこれに類した樹に餅が生ったためにコン ナ名称が出たのではあるまいか。  無論米の餅が樹に生ったわけではない。餅のようなものが生ったのか、或は木 に生ったものを当時の人々がモチというたために、後世米で造った餅がこれに似て 居るからとて餅をモチというたのか分からぬが、何れにしてもモチという語は天よ りも賜われる聖き糧という意義のものらしい。  もし天佑神助というものを信じない人があって、ソンナ事が有り得ないと一笑に 附し去るかも知れぬが、何人も否定することの出来ない彼のイスラエル民族の四十 年に亘る荒野旅行に於て、彼らはマナを食して生きて居ったではないか。このマナ というは霊果と訳して居るが、シナイ半島にある植物の実だという人もあるが、木 に餅が生ったと考えればよいではないか。  奇妙にも猶太人はこの天降りの糧を記念感謝するために、祭日にはマツアという ものを食するが、このマツアは麦で造った餅で、マツアはモチから転化したものら しい。  そこで日本で祝祭などに餅を用ゆるのは猶太人のマツアと同様、天佑神助を記念 感謝するためではなかろかと思う。  木に餅が生るような大地震が近き将来には無かろうと思うが思想的に信仰的に今 日の世界は丸で泥の海となって居ることは事実である。そしてこの際に神代秘史が 発見され世に現れたことは、丁度木に餅が生ったようなものである。何と有り難い ことではないか。

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