シドニー浜の竹内文書・竹内文献に関するメモ帳
竹内文献に於ける古事記の由来 『神霊正典』矢野祐太郎著の138章より
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竹内文献は、古史古伝として存在しているが、本来『上記大奥(ウエツフミオオオク)』
と呼ばれており、古事記編纂の元となった原文である。その経緯は次の原文とそれを
現代平易文として私が翻訳した文から読み取って頂ければ幸いである。

竹内文献に於ける古事記の由来[『神霊正典』矢野祐太郎著の138章より] 第138章 古事記の由来[原文]


皇位継承の各神宝に対して、代々天皇が様々の苦心を払ひ、之を相伝へ給ひしは、前
述せし所にして、此の間、駛身神霊界に於て、天照彦系諸神霊が其の支配権を永久に
持続せんとする思念、即ち末法万年を続けんとする思念によりて、先づ日の本歴史改
竄の計画に着手せり。

皇統百十九代[神倭第二十二代]雄略天皇、二十一年一月二十一日、「平群武内真鳥」に
詔して宣はく、『左の五名の願により、万国棟梁皇祖皇太神宮神躰の、神代文字天皇
御系譜の巻より、天之御中主天皇より上代天皇及び神代の神を除き、狭野天皇(神武天
皇)迄の所を写し取る事を許可せり、依て、汝真鳥宿禰の写しの巻より写し取らすべし。  大伴室屋 葛城円 物部自連 巨勢男人 蘇我韓子』
以上五名は、悉く「天照彦大神」系の身霊を有する者にして、而も、右の天皇御系譜
の写しが、後世古事記編纂に当たりて、其の骨幹となりしものなり。即ち、右五名の
うち、物部氏の写せしもの、後に美濃国中山村山本家に伝はり、「大海人皇子」[天武
天皇]、其の家に止まる事三十年、古事記編纂の事爰に胚胎す。

 右の理由により、古事記の骨幹なりしものは、「天之御中主天皇」以降の御系譜な
るを以て、其の編纂に当りては、先づ「天之御中主天皇」より筆を起こさざるベから
ず。従って、この天皇が、本来の「元無極體主王大神」に代りて、宇宙根本祖神とし
て、記さるゝことゝなれり。即ち、此の上代第四代天皇を以て、宇宙根本祖神となし
たる為、それ以降は順次之に従ひて、其の年代を齟齬せしめざるを得ざるに到り、人
類発生を第三十二代「天疎日向津比売天皇」の御時の事となし、また、第一代「天日
豊本葦牙気天皇」に降下ありし、「天孫降臨の神勅」を第二十四代「瓊々杵天皇」高
千穂遷都に附会(繋ぎ合わせ)して、此の天皇に降下ありしものとして、記しぬ。

 古事記は、斯くの如き年代の齟齬を無視蹈悔して作成せられしものなるが、而も、
其の杜撰なる事は以上に止まらず、人皇十代「崇神天皇」の御代、「天疎日向津比売
天皇」を日の本上代中興の御祖として称え奉りし御名「天照大神」を以て、直ちに、
天の御三骵大神の一なる「天照日大神」と混同し、限身界に於ける天皇が、直ちに燿
身界に於ける統治神たる事となりぬ。また更に、鵜不合第一代「武鵜草鵜不合天皇」
の皇后「玉依比売皇后宮」と、鵜不合第七十一代「天照国照日子百日臼杵天皇」の皇
后「玉依比売皇后宮」との、御名御同一なりし点よりして、其の間七十代に亙る日本
中古文明黄金時代なりし鵜不合皇朝全部を、歴史から抹消し去り、神倭第一代「神武
天皇」を鵜不合第一代天皇の皇子として伝えたる如き、大誤記、を敢えて犯すに到り
しものとす。

 右によりて、明なる如く、古事記は杜撰甚しく、大誤謬・大矛盾を包含し、之を史
実として見ん時は、殆ど一顧の価値だに無きものなれども、更に之を仔細に検討し、
其の本文に於て、「天地初発の時、高天原に成りませる神の御名は、天之御中主天
皇、次に高皇産巣日の神、次に神産巣日神、此の三柱の神は、並独神成り座して、身
を隠し給ふ」と述べある如きを読みて、之を形而上的なる神文として稽ふる時は必ず
しも無意味なりとは云ひ難し。然れども、其の記載の事柄全部を事実と見做し、歴史
として取扱ひ、延いて日の本の皇室と国体の尊厳を之より演繹せんと試むるは、大誤
謬・大冒瀆を敢て犯すものと断ぜざるを得ず。

第138章 古事記の由来[sydneyminatoによる現代文] ※旧仮名遣いを現代仮名遣いへ、及び旧字体を新字体へなど、ひと通り読み易く修正してあります。 皇位継承の各神宝に対して、代々天皇が様々の苦心を払い、これを相伝えられたの
は、前述するところであり、この間、駛身神霊界に於いて、天照彦系諸神霊がそ
の支配権を永久に持続しようとする思念、即ち末法万年を続けるとする思念によっ
て、先ず日の本歴史改竄の計画に着手した。 皇統119代[神倭第22代]雄略天皇、21年1月21日、「平群武内真鳥」に詔して宣は
く、『左の5名の願により、万国棟梁皇祖皇太神宮神躰の、神代文字天皇御系譜の巻よ
り、天之御中主天皇より上代天皇及び神代の神を除き、狭野天皇(神武天皇)迄の所を写
し取る事を許可する、よって、汝真鳥宿禰の写しの巻より写し取らすべし。  大伴室屋 葛城円 物部自連 巨勢男人 蘇我韓子』 以上5名は、悉く「天照彦大神」系の身霊を有する者であり、しかも、右の天皇御系譜
の写しが、後世古事記編纂に当たって、その骨幹となったものである。即ち、右5名の
内、物部氏の写したもの、後に美濃国中山村山本家に伝わり、「大海人皇子」[天武天
皇]、その家に止まる事30年、古事記編纂の事爰に胚胎した。
 右の理由により、古事記の骨幹なったものは、「天之御中主天皇」以降の御系譜で
あることにより、その編纂に当っては、先ず「天之御中主天皇」より筆を起さない訳
には行かない。従って、この天皇が、本来の「元無極體主王大神」に代って、宇宙根
本祖神として、記されることとなった。即ち、この上代第4代天皇を以って、宇宙根本
祖神としたので、それ以降は順次これに従って、その年代を齟齬させざるを得ないこ
ととなり、人類発生を第32代「天疎日向津比売天皇」の事として、また、第1代「天
日豊本葦牙気天皇」に降下があった、「天孫降臨の神勅」を第24代「瓊々杵天皇」高
千穂遷都に繋ぎ合わせて、この天皇に降下があったものとして記した。
 古事記は、この様な年代の齟齬を無視して作成されたものだが、しかも、その杜撰
な事は以上に留まらず、人皇10代「崇神天皇」の御代、「天疎日向津比売天皇」を日
の本上代中興の御祖として称え奉った御名「天照大神」を以って、直ちに、天の御三
骵大神の一なる「天照日大神」と混同し、限身界に於ける天皇が、直ちに燿身界に於
ける統治神となった。また更に、鵜不合第1代「武鵜草鵜不合天皇」の皇后「玉依比売
皇后宮」と、鵜不合第71代「天照国照日子百日臼杵天皇」の皇后「玉依比売皇后宮」
との、御名御同一となった点により、その間70代に亘る日本中古文明黄金時代である
鵜不合皇朝の全てを、歴史から抹消し去り、神倭第1代「神武天皇」を鵜不合第一代天
皇の皇子として伝えるという、大誤記、を敢えて犯すに到ったのだ。
 右によって、明らかな様に、古事記は杜撰甚しく、大誤謬・大矛盾を包含し、これ
を史実として見る時は、殆ど一顧の価値も無いものであるが、更にこれを仔細に検討
し、その本文に於いて、「天地初発の時、高天原に成りませる神の御名は、天之御中
主天皇、次に高皇産巣日の神、次に神産巣日神、この三柱の神は、並びに独神成り座
して、身を隠し給う」と述べているものを読むと、これを形而上的な神文として考え
る時は必ずしも無意味であるとは云い難い。しかし、その記載の事柄全部を事実と見
做し、歴史として取扱い、延いては日本の皇室と国体の尊厳をこれより演繹しようと
試みるのは、大誤謬・大冒涜を敢えて犯したものと断じざるを得ない。

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