シドニー浜の竹内文書・竹内文献に関するメモ帳
『上記鈔譯』及び偽書説に就いて(『ウヱツフミ-孝説-』79-89頁より)
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第八章『上記鈔譯』及び偽書説に就いて(『ウヱツフミ-孝説-』79-89頁より)

[シドニー浜より: ●この「『上記鈔譯』及び偽書説に就いて」の文章の出典元は、  昭和48年刊行の復刻書籍『ウヱツフミ』17册セットの内の1册である  『ウヱツフミ-孝説-』からの第八章のみをそのものを抽出して書写したテキストです。 ●孝説本文は活字ではなく全て手書きの原稿を写真製本により起こされて  印刷されており、それをPCでテキストに起こす際の配慮として、  本文に使われている旧字体漢字は読み易さとテキスト書写の作業効率を  考慮し、文意を損ねないものについては新字体の漢字へ変換してあります。 ●例外として、文体表現そのもの及び、書名に使われている旧字体と  引用文中の旧字体は再現可能な限りそのまま書き写しました。 ●尚、本文内に出て来る()の説明について、唯一神代文字の部分でPCで変換の  出来ない『ウヱツフミ』の文字についてのみ、(←ここは豊国新字体、以下←豊)  及び(←豊)と表現してあります。 ●それらの部分を除いての(註)については元から安藤一馬氏によって  書かれていたものであり、シドニー浜が書き加えた(註)ではありません] ●さて、このテキストは、普段余り知られる事の少ないウエツフミ(上記)に  ついての基本的な予備知識を研究する上で、(宗像本系の)安藤本を公表した  安藤一馬氏による直筆の資料からの貴重な知識を得ることができるので  敢えて書写してみようと思い立ちました。  『上記鈔譯』といえばウヱツフミの代表作と思われているものなのですが、  どうやらその知識自体がウヱツフミの偽書派によってもたらされている  情報らしい事がこの文章を読んで理解する事が出来ます。  これから新たにこれらの文章に触れる方々には、  どのように感じられることでしょう。(シドニー浜)

[これより本文]

『ウヱツフミ』の原文を外にして『ウヱツフミ』の内容概略を知るには、 今の所吉良義風氏著『上記鈔譯』三巻を第一に押さなければなりますまい。  吉良氏の履歴に就きましては、詳しく知ることが出来ないのでありますが、 岡藩(註=大分県竹田藩)の小笠原流礼式師範の家に生れ、明治初年の頃 小学校教師となり、当時の県会森下景瑞氏、『ウヱツフミ宗像本』発見者 幸松葉枝尺氏、『ウヱツフミ大友本』発見に尽された春藤茂氏、その他 『ウヱツフミ』に関心を持たれました諸氏と交遊あり、時の教部省にも 関係があったもののようであります。  後遂に狂死されたとか言われますが、詳細は不明であります。  『上記鈔譯』三巻は、明治十年七月に第一巻を出し、続いて第二巻を出し、 十三年十一月に第三巻を出して居ります。  本書は鈔譯とあります如く、非常に略されたもので、原文は全然出してなく、 吉良氏の発案と思われるような文意文体で書かれてあります。  第一巻の首に、時の大政大臣三條実美卿の『温故知新』の題字を掲げ、 次に森下景瑞氏の題字あり、次に大友能直公筆と称される『ウヱツフミはしがき』 (註=前に引用掲出のもの)の大略あり、吉良氏の自序、岸田吟香民の序、 次に緒言として、『ウヱツフミ』伝存発見の大略、内容の概略、 鈔譯を出すに至りたる動機及び目的、要領等を簡単に述べ、『ウヱツフミ』 引用書書目として、『ウヱツフミはしがき』にあります数種の旧記を再録し、 『ウヱツフミ』の原文は『ウヱツフミ』用字概略としてほんのニ三行のみ掲げ、 その直譯よりはむしろ独断意譯に近い譯文を附し、然して『ウヱツフミ』所用の 文字が上世存在したであろう事を強証せん為に、日向高千穂岩戸神社所蔵の 甕の蓋石の銘と称される文字、豊後直入郡尾平鉱山所伝と称される秘文なる ものの文字を掲げられてあります。  尚因幡國岩井郡栗谷村坂谷権現境内石壁所在のものと言われる文字、 大分県北海部郡臼杵丹生島城跡石垣に在りと言われる文字様のもの等が 掲げられてあります。次に大日本帝国上代総称及び国名上代全国の図を掲げ、 然して『ウヱツフミ(←ここは豊国新字体、以下←豊)』本文第一綴から始め 第十一綴を以て第一巻を終り、第十一綴から、第二十七綴を以て第二巻を終り、 第二十八綴から第四十一綴を以て第三巻を終っているのであります。 三巻とも毎巻一頁に一行二十二字詰十行で約百五六十頁内外のものであります。 『ウヱツフミ(←豊)』四十一綴 (註=此の四十一綴に就いては甚だ疑問があるのでありまして宗像本発見者 幸松葉枝尺が整理便宜上分綴して四十一綴としたらしいのであります) を今の漢字を当てはめて、漢字假名交り文に直しますなら『上記鈔譯』の 如き三巻やそこらに到底収まるようなものではありません。  そして『ウヱツフミ(←豊)』の原字原文は殆んど出さず、餘りにも省略され、 吉良氏発案と思われる文意文体で独断的に書かれてあります故に 『ウヱツフミ(←豊)』を一般に紹介しますと同時に、反って 『ウヱツフミ』原書までも偽書なりとの評説を招くに至ったのであります。  最初に掲げました佐村八郎氏偽書説の如き、『ウヱツフミ』原書と吉良氏の 此の『上記鈔譯』とを混同するような、とんでもない偽書説すら唱えられるに 至ったのであります。  佐村氏は失礼ながら『ウヱツフミ』の原文は恐らく御覧になっていないと 思われるのであります。もし御覧になったのでしたら、『ウヱツフミ』原書と 『上記鈔譯』を間違え混同されたらしい偽書説は唱えなかっただろうと 思うのであります。  佐村氏のみでなく、多くの学者の偽書説なるものも、大同小異のものと 私は考えるのであります。  なぜならば、『ウヱツフミ』の原書は前に記しました通りであります。 従ってこれを精読研究しようにも、甚だ不便であり、私の知る範囲では、 本当に『ウヱツフミ』原文を精読されたと言う人は、日本全国でも、 僅かに指を屈する程度に過ぎないのであります。  世に『食わず嫌い』と言う事がありますが、『ウヱツフミ』偽書説の如きは、 これに類する者の説が多いように思われてならないのであります。  大部分の人が『上記鈔譯』を見て、『ああ、こんなものか』と、『ウヱツフミ』 を見ずじまいで、批判評説をなしているのではないかしらと思われるのであります。  尤も原文を見ようにも、たくさんに世に出ていないのですから 不便な事ではあります。  先年東京市神田区小川町三ノ二十八番地法律評論社内神代文化研究会より 原文の刊行をされましたが、印刷して全巻を世に出されました事は、 原輯以来実にこれが最初であったのであります。  最近斯界に於いて、やや問題となり、研究者も出て来り居る模様ですが、 いまだ老人か閑人の趣味程度の域を出でないが如くであります事は、 遺憾な事であります。  これを入手されました方々の大部分も、恐らく精読よりは積読されてる方が 多いのではあるまいかと、まことに失礼な想像すらしているのであります。  兎に角、吉良氏の『上記鈔譯』は、一面に於きまして、偽書説を招く小因 もあるにはありましたが『ウヱツフミ』なるものが、大分県下に伝存せる事を 世に紹介しました最初のものであり、『ウヱツフミ』の内容の大略を窺うのに 便利な点も多々あります故に、『ウヱツフミ』研究者には参考書として 紹介する次第であります。  『上記鈔譯』が世に出て以来、『ウヱツフミ』そのものの偽書説まで 唱えられるに至り、その為と原文入手が困難でありました為に、研究者も少く、 僅かに隠れたる二三の篤志家によって内々研究がなされ、漸やく今日に 至ったような事情であります。  吉良氏は『上記鈔譯』の自序に、  『……前略……此鈔譯は幸松翁発見する所のものに就て森下大人の恵を蒙り   漸く其功を畢(おわ)るといえども云々……後略……』  と言って居られるのでありますが、幸松氏が謄写した写本によって 訳されたもので、森下大人の恵を蒙りとあります如く、県令森下景瑞氏の 絶大なる後援のもとに、鈔譯出版を達成されたもののようであります。  然して鈔譯上梓されるや、時の神宮教院では直ちに『ウヱツフミ』は 偽書なりと『上記辧』なるものを出されたとの事であります。  又東京八足翁(註=この八足翁なる人は如何なる人か詳かでありません)は  『上記は元亀年中大友の探題府にて偽作せし板面書の今に存するものなり』  と言われ、  又開知新聞第二百九十五号自百八至百九紙上に、  『上記は大友義鎮入道宗麟その臣清田田鎮忠田原近江守等と示し合せて   内國人をあざむかんとて作りしものなり』  などと言う珍説まで出たとの事であります。  『上記辧』なるものに就きまして、田近陽一郎氏 (註=竹田町の人国学者で勤皇の志厚く明治維新の頃薩長の志士とも交遊あり 彼の寺田屋事変の際の如きは危くその難を免れたとの事であります後 竹田中学に国語の教鞭を執られ「詞の緒」「速吸名門異考」 「高千穂古文字傳」等の大著述をなしています長陽と号し大分県教育会編纂 「大分懸偉人傳」に勤皇の志と記されあり又大河原某氏著「田近陽一郎傳」 に詳しく伝記が記されてあります) その著『高千穂古文字傳』に、  『上記辧というものを神宮教院にては書けり此の書上記を見たりげに   記せれど原書を見たりとも思われず原書を見たらむには   すべて辧書くには原書のをぢをぢを捕へて辧へ原文を掲げて論ふべきを   然るふしとては一所だに無く只鈔譯にあるものをさして罵詈したるのみ   なればなりまた當時彼の院の學者原書全部を得且讀み得る事も   あるべからじをや故辧辧を物するに足らず』  と書かれて、神宮教院の偽書説に対して強く反駁されているのであります。  吉良氏もまた偽書ならざる事を強調せん為に『上記徴証』『上記質疑集』 等を書かれたのでありますが、認められず、今に至るまで学会に於いて 偽書なりとして葬られているのであります。  真実原文を研究しての偽書説ならば、何も私輩が論議の余地がないので ありますが、吉良氏の『上記鈔譯』と『ウヱツフミ』原文そのものとを 混同しての偽書説や、食はず嫌いに類するが如き偽書説は、説を為す その人の為にも、学会の為にも、否皇国の尊厳国体明徴の上から、 誠に遺憾千万に堪えないのであります。  今や我が皇国は、大東亜協栄圏否全世界指導者として起ち上がったので あります。これが、指導精神の根基を把握し、確固不抜の自覚を持つ為には、 肇國の淵源国体の尊厳なる所以を明徴にしなければならない事は、 申すまでもない事と思います。  達識の士が、 『日本人はすべからく先づ自らを指導せんには國史に還れ』 と叫んで居ります。  皆さん、願わくば、従来の行きがかりやこだわりをさらりと捨て、 真実日本人らしく、純真本念の姿に立ち還り、『ウヱツフミ』の如きもの までも、再検討して見ようではありませんか。そして検討の上摂るべきは 大いに摂り、活用し、又捨つべきは捨てると言う、大らかな気持ちに なろうではありませんか。 [ここまで本文]


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