シドニー浜の竹内文書・竹内文献に関するメモ帳
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この文は先代舊事本紀訓解[白河家三十巻本]の序文に当たるものを記載して、シドニー浜が意訳を誰にでも分かり易く読める様にしたものである。

[原文]
「貞亮謹テ按ズルニ先代旧事本紀ト云フ者ノ三本アリ、一ツニハ、世間流布ノ先代旧事本紀十巻アリ、此ハ、聖徳太子ノ撰ジ始メ玉ヒ、蘇我ノ馬子ノ宿禰等ガ、成就シタル者也トイヘリ、二ツニハ、先代旧事本紀ト名ヅケ、大成経ト名ヅケ、七十二巻アリ、此ハ、大(オホ)方ハ、聖徳太子ノ撰ジ玉ヒ、推古天皇及ビ秦ノ河勝ノ大連等ノ成就シラレタル者也トイヘリ、三ツニハ、白河ノ神祇伯ノ家ニ、先代旧事本紀三十巻アリ、此ハ、誰レ人ノ所作タルコトヲイハズ、聖徳太子ノ製作ナリト伝説セリ、然ルニ、今此三本ヲ閲(ケミ)スルニ、白河家ノ本ハ事理倶ニ全備シ、文章モ、顛倒錯字アルコトナク、誠ニ太子ノ製作トモ謂フベシ、世間流布ノ本ハ、神代ハ、略(ホボ)詳ナリトイへドモ、但ダ事相ノミナリ、王代ハ、甚ダ粗略ニシテ、脱漏多シ、文章ニハ、顛倒錯字多シ、太子ノ製作ニ、アラザルベシ、大成経ハ、事理ヲ説クコト、甚ダ詳ナリ、然レドモ、九天六地ノ説ハ、周易道家ノ説ヲ模(ウツ)シ、四天ハ、仏書ノ成住壊空ノ説ヨリ出ヅ、伊勢神宮ノ説、三百六十王ト、王代ヲカギリ、通変占ヲ以テ、太占(フトマニ)本紀トシ、此外、不経ノ甚キモノ、枚挙スルニ遑アラズ、●文章ハ、甚ダ鄙拙ニシテ、顛倒錯字多クシテ、●太子ノ製作シ玉ヘル、十七個ノ憲法及ビ勝鬘維摩法華経ノ義疏ノ文ト、照観スルニ、宵壊懸(ハル)カニ隔リ、黒白大イニ異ナリ、似ルベキモノニ非ズ、後人、白河家ノ本ノ意ヲ偸スミ、附会杜撰セルモノニシテ、決シテ、太子ノ製作ニアラザルナリ、今ママサニ訓解スルモノハ、白河家ノ先代旧事本紀ナリ、然ルニ、此書ハ、神代皇代ノ事迹ヲ詳カニ録シ、神道ノ事理ヲ、明カニ示シ、君臣ノ格言ヲ、アラハセリ、誠トニ天下ノ大経大法ト謂フベシ、蝦夷入鹿ガ乱ニヨリケルカ、脱亡スルモノ多ク、其全部タルコトヲエズ、甚ダ歎惜スベシ」

[意訳]
「貞亮謹んで案ずるに先代旧事本紀というものは三本ある。
一つ目は、世間流布の『先代旧事本紀十巻』があり、これは、聖徳太子が選ばれ、蘇我馬子の宿禰等が、成就したものであるといえる。
二つ目は、『先代旧事本紀大成経』と名付け、七十二巻ある。これは、大方は、聖徳太子の選ばれた、推古天皇及び秦の河勝の大連等の成就されたものといえる。
三つ目は、白河の神祇伯の家に、『先代旧事本紀三十巻』あり、これは、誰の所作であることをいわず、聖徳太子の製作であると伝説した。
然し、今この三本を閲覧すると、白河家の本は事理共に全備し、文章も、顛倒錯字もなく、誠に太子の製作ともいえる。
世間流布の本は、神代は、ほぼ詳しいといえども、ただ事相のみなり。王代は、甚だ粗略であり、脱漏多く、文章には、顛倒錯字多く、太子の製作ではないだろう。
大成経は、事理を説くこと、甚だ詳なり。然れども、九天六地の説は、周易道家の説を模し、四天は、仏書の成住壊空の説より出でて、伊勢神宮の説、三百六十王と、王代をかぎり、通変占を以て、太占(ふとまに)本紀とし、この他、不経の甚きもの、枚挙するに遑あらず。
●文章は、甚だ鄙拙にして、顛倒錯字多くして、●太子の製作された、十七個の憲法及び勝鬘維摩法華経の義疏の文と、照観するに、宵壊懸(はる)かに隔り、黒白大いに異なり、似てはいない。
後人、白河家の本の意を盗み、付け加えずさんであり、決して、太子の製作ではなく、今まさに訓解するものは、白河家の先代旧事本紀なり、然るに、この書は、神代皇代の事迹を詳かに録し、神道の事理を、明かに示し、君臣の格言を、あらわしている。
誠とに天下の大経大法というべきものである。蝦夷入鹿が乱によるものか、脱亡するものが多く、その全部であることを満たさず、甚だ歎き惜むべきものだ」

[これを翻訳して思ったこと]
これを翻訳して読んでみれば、この先代旧事本紀がしっかりと歴史認識としてアカデミズムに評価されずに聖徳太子の存在までが軽視されていることで、如何に現代の歴史認識が軽率な評価に曝されているのかがお分かり頂けると思う。つまり歴史評価なんて後世の人物からは正しい評価などは受けられていないことがよく分かるのである。

古事記・日本書紀こそが日本の史書であるとされているが、この先代旧事本紀こそ最も評価されるべき史書ではないかと私自身感じているのである。この先代旧事本紀こそ欠史八代の事績を欠かさずに全て掲載しており、日本史のあるべき姿を継承する正しい史書であると知らねばならないと言えるのだ。


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